小学校の担任が8080アセンブラの本をくれた話

たのしいマイコン教室(表紙)
時国 修,ラジオの製作別冊 たのしいマイコン教室,電波新聞社,1979 (CiNii)

まえがき

「あのとき人生が変わった」という経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

小学生時代の筆者は、ドラえもんとラジコンに夢中なごく普通の少年でした。当時(昭和60年代~平成初期)は一般家庭にパソコンなど無く、小学校のパソコンクラブに入っている同級生が「マウスで絵を描いた」と言っても、マウスとは何なのか知らず、ミッキーマウスの絵を描いたと勘違いしたほどピュアな少年でした。

転機は小学5年生に訪れます。担任の先生は、丸顔に黒縁眼鏡の男性教師でした。先生はパソコン黎明期からプログラミングに熱中していたようで、小学校の教室に私物のMacintosh(おそらくMacintosh SE)とPC-8801を設置して子供たちに自由に触らせてくれたのです。
そのPC-8801は、5年生の終わりとともに私の手元にやってきて、私が映像・無線技術者の道を歩むきっかけになりました。
そして先生は、その年に教職を辞して学校を去っていったのでした。

0~1111くらいまでは暗記せよ

担任の先生がくれた「8080アセンブラの本」とは、時国 修・著「たのしいマイコン教室」(電波新聞社・1979)です。
フレンドリーなタイトルとは裏腹に、中身はNEC TK-80をベースにしたマイコンシステムの概論から始まり、2進数の概念と論理演算からなる計算理論、ロジックICやCPUのハードウェア解説、i8080ニーモニック(アセンブラ)の解説からTK-80モニタによる機械語プログラミング、TK-80の機能を拡張したTK-80BS・COMPO BS/80によるBASIC入門までを1冊でカバーする良書中の良書です。
読者層としては高校生から社会人向けと思われ、小学5年生に渡す本としては、かなり硬派な選書です。

たのしいマイコン教室(目次)
「たのしいマイコン教室」目次

もちろん小学生でアセンブラを理解することは難しく、最初は下図の「インスタント・ラーメンを作るフローチャート」などを眺めて、プログラムとは何かを知ったと思います。

インスタント・ラーメンを作るフローチャート
インスタント・ラーメンを作るフローチャート

BASICがぜいたく品だった時代の書籍なので、アセンブラに多くのページが割かれています。特に、2進数の解説は図表をふんだんに使って丁寧に解説されています。「0~1111くらいまでは暗記せよ」に衝撃を受けつつ(暗記はムリ!)、指を折って2進数で数を数えるくらいはできるようになりました。
当時のコンピューター(マイコン)は電気信号を操作する感覚が強く、信号のON/OFFに対応する2進数の理解が必須でした。OSの上でプログラムを動かす現代のコンピューターとはまったく趣が違います。

0~1111くらいまでは暗記せよ
衝撃を受けた「0~1111くらいまでは暗記せよ」

同時期に電子工作にも興味を持ち始めて、コンピューターと電子回路のつながりを理解するのに本書が大いに役立ちました。

TK-80原寸大折込み付録
TK-80の原寸大折込み付録 マイコンが買えない人は、この写真を厚紙に貼って練習できた 実際に使った人はいたのだろうか
裏表紙
裏表紙の広告はLogitecの5.25インチFDD 2ドライブで36万円! 関東電子機器販売は2022年現在 TD SYNNEX として存続

異端だった?先生

教室に私物のパソコンを設置するくらいなので、先生は「ふつうの先生」の枠に収まらなかったのかもしれません。小学校のパソコン教室にはビジネス向けの高性能なパソコン(富士通 FM-16β)が配備されていましたが、並みの教師には使いこなせないシロモノで、教育用途として活用するのは難しかったと思います。そんな時代に、当時の価格で50万円以上したはずのMacintoshを教室に置いて触らせていたのですから、先生は子供たちを信頼していたのだと思います。

こちら側(子供)としても「Macは先生のもの」という意識があってほとんど触らず、放課後にはPC-8801ばかり使われていた記憶があります。

あくまでも子供からの目線ですが、先生は優しさと厳しさを備え持つ熱血教師タイプで、子供たちからは慕われていたと記憶しています。授業に集中しない子供にはチョークが飛び、時にはサンダルが飛んできましたが・・・(サンダルが机に命中してドッカーン!)

お下がりのパソコン

授業でチョークが飛ぼうがサンダルが飛ぼうが、5年生ともなると怒られる方が悪いことはわかっていて、問題になったことはありませんでした。時代も違うと思いますが、家庭訪問などを通じて親との信頼関係があり、また子供たちの家庭環境にも気を配っていたのだと思います。

教室のPC-8801に夢中になり、図書館から借りてきたBASICの入門書を持ち込んで放課後にかじりついていた私は、自分用のパソコンが欲しくて仕方なくなり、母親に毎日毎日ねだったのです。しかし、経済的な理由から我が家にパソコンが来ることはありませんでした。

家庭の事情を知っていたのか知らなかったのか、今となっては確かめるすべはありませんが・・・3月のある日、PC-8801を内緒で持って帰って良いと言われたのです。小学校の向かいに住んでいたので、何往復もして自宅に運びました。

譲っていただいたのは初代PC-8801のフルセットです。

名称機種など備考
本体NEC PC-8801 (初代)漢字ROM増設済み
ディスプレイ白黒ディスプレイ(メーカー・型番失念)記録なし
フロッピーディスクドライブ5.25インチ 2Dフォーマット 2ドライブ(メーカー・型番失念)記録なし
プリンタードットインパクトプリンター(NEC・型番失念)記録なし
システムディスクDISK BASIC、N88-漢字BASIC、NECのデモディスクなど
ソフトユーカラCARD(データベースソフト)、ワープロソフト、ゲームソフトなど
書籍たのしいマイコン教室、各種マニュアル

夢にまで見た自分のパソコンです。毎日のように触り、図書館で借りたゲームプログラムの本のリストを入力したりしてBASICを習得していきました。
その後、中古のPC-8801FHを購入してステップアップし、市販のゲームで遊んだりベーマガのリストを打ち込んだりして、パソコンと電子工作に熱中していくのでした。

BASIC入門書に載っていたグラフィックス表示のプログラムを実行したハードコピー 学習ノートをちぎった用紙に、日付スタンプが懐かしい
先生の作った統計処理プログラム(成績処理) 1983年の雑誌「The BASIC」に掲載された(投稿した?)ものと思われる

挨拶もできずに

教職を去った先生は、建設コンサルタント会社の経営者に転身しました。
10年の時が流れて私は無線技術者として就職し、先生に挨拶のはがきを出しました。先生からは私の不在中に職場に電話があり、タイミングが合わずに折り返せないまま連絡はつかなかったのですが、それが先生との最後のやり取りになるとは思いませんでした。2001年のことです。

仙台一高29回卒業生 ブログ: 訃報 (ichiko-29.blogspot.com)

訃報は2011年ですが、私は10年も遅れた2021年に先生の名前を検索して、訃報を知ることになりました。
どうにか文章として残しておきたいと思い始めてから、さらに1年もかかってしまいました。
土門先生、あなたは確実に私の人生を変えて、技術者を目指すきっかけを作ってくださいました。ありがとうございました。最後になりましたが、この拙稿を土門先生に捧げます。安らかにお休みください。

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